2010-12-06

多読とともに、または多読の先にある「ぺ~らぺら」

英会話は たくさんインプットすることで、
ある日
「樽から溢れるように英語が口から出てくる」 
のではないか…

と言う説があります。

たくさんインプットすると
「リスニングも楽になるのではないか」
と期待されます。


会話は「しゃべるだけ」じゃなく
次は返事を聞かなければならにゃい!

もちろん入れないものは出てきません。
だから多読で英語を頭に言えれるのは大切。
でも「会話」となると たくさん入れるだけでは…
でてこな~い!
ここでの会話は 「話すこと」の方です。

これは 読む聞くを「インプット」と言うのに対して
「アウトプット」と表現されます。

入れないものは出てきませんが、
ほとんどの人にとって
イーエ全ての人にとってと言ってもいいかな
英語が口からすーらすら~
簡単に出てくるものではないのが現状。

カナダのイマージョン教育に有名な報告があります。
(イマージョン教育:簡単に言うと 「語学クラスに限らず他教科の授業もすべて英語で行う方式」のことです)

このカナダのイマージョン教育で育つ子どもたちは
授業でずーっと英語を聞いています。
これがインプット。
毎日の授業だから かなりの量です。
このおかげで英語で与えられる情報を
理解する力はすぐれています。
インプットは 別の言い方をすれば
受動的な学習だといえまふ。

この十分なインプットはとっても大切です。
でも ひとたび話すこと、とか書くことのような
自分から英語を能動的に出す事となると
聞いたり読んだりする能力より
劣るというのが有名な「報告」。
(Swainさんの著書とかで詳しく述べられています)

ここです!
私が疑問に思っているのは。

日本は
教室のドアを一歩外に出たら
英語からほぼ遮断される生活です。
(世の中横文字がアフレているって思います?
全部「日本語」として存在するヨコモジですよね。
カタカナで書くだけで英語っぽい?)

そんな環境で英語力を養うには
多読はとっても効果的な方法だと思いまふー。
「量」をこなすには 必要不可欠だと言いたいほど。

なにせ教科書で与えられる量、
教室で与えられる量は週に1回60分だけ。
その60分ですら、先生が喋り続ける60分ではないので、
実際のインプット時間はとても少ない。
宿題でCDを聞いてねってあります
子どもたちは聞いてくれますよ~
(翌週「聞いてきてよかった」と思うレッスンをすれば)

でも量を期待できないのでっす。

だから多読はインプット量を支える面から
英語学習としても有効だと思います。

多読は「楽しむ」という事が前提にあるので長続きもしやすいはず!

インプット量を支えるだけでは
「溜まった水が樽からあふれるように」
英語が口から出てくるわけではありまっせん。

ここに「教室」の意義があるんだっと思います。
多読以外の「アプローチの必要性」でっす。

多読が
「本を読むのが楽しい」という目的の人には
不要な話ですね。

でも
”喋りたーい!”
という人は多読以外のツールで
アウトプットする量を支える必要がありまーす

ここを毎日模索しているわけでっす。

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